漫画『キングダム』に山の民を武力で束ねる王として登場する楊 端和(ようたんわ)。
恐ろし気な面を外せば、長い髪の絶世の美女が!
『キングダム』は基本、史実に忠実な設定なのですが、この『山の王 楊 端和』とは実在の人物なのでしょうか?
また死亡したのは何年のことでしょう?
歴史の中の楊 端和を探してみましょう。
『キングダム』に登場する楊 端和
楊 端和の初登場は『キングダム』3巻、第20話です。
最初は山の民を裏切った秦の民に対する怨念を口にします。
しかし、楊端和自身は広い世界を望んでいたことと、400年前の山の民の祖先も、広い世界で秦の民と交わって暮らすことを望んだことを考え、『中華統一』を目指す秦王・嬴政(えいせい)と共に戦う同盟を結びます。
映画では長澤まさみが楊端和を演じます。
漫画・アニメ以上の強く、美しく、リーダーシップにあふれた楊端和に釘付けになります!
「キングダム」山界の死王・楊端和 。長澤まさみの凛とした美しさ‼️#このタグを見た人は攻撃力高そうな持ってる画像を貼る pic.twitter.com/f5Xq4JLneY
— まちゃん (@movielove1234) January 23, 2022
実在の楊端和 は男性だった!
紀元前238年(始皇9年)、魏の衍氏(えんし)を攻めた(衍氏の戦い)
(wikipediaより)
Wikipediaには上記のように簡単な記載があるだけですが、『衍氏の戦い』は『キングダム』41巻に描かれています。
しかしポイントは、①楊端和は男性だった ②楊端和は秦軍の将軍であり、山の民の民族であったという記録はないという2点でしょう。
紀元前236年(始皇11年)、王翦・桓齮とともに趙の鄴(ぎょう)を攻めた(鄴の戦い)
(wikipediaより)
『鄴(ぎょう)の戦い』はキングダム46巻から。
キングダムに描かれている戦があったことは真実ですが、楊端和のキャラクターを山の民の女王に変更しているということでしょう。
楊端和の死亡はいつ?
歴史上の記録の中で、楊端和が最後に登場するのは次の一文です。
紀元前229年(始皇18年)、河内の兵を率いて趙の首都である邯鄲を囲む。
翌年、王翦と羌瘣が趙を平定した。(wikipediaより)
中華統一は紀元前221年であるのに、その前に名前が消えてしまったということは、紀元前229年の後、ほどなく死亡してしまったと思われます。
この年の邯鄲攻めで戦死したのであれば記録に残ったかもしれませんが、混沌とした戦国時代のことですから、有名な将軍であっても生年、没年は不明の場合も多いです。
とはいえ、『キングダム』最新68巻宜安攻めは紀元前233年!
楊端和はまだまだ大活躍が続くということ!
長澤まさみさんの楊端和、出番はこれからが本番です!
おまけ:羌瘣(きょうかい)も実在したけど…
紀元前229年(始皇18年)、河内の兵を率いて趙の首都である邯鄲(かんたん)を囲む。翌年、王翦と羌瘣が趙を平定した。
(wikipediaより)
『キングダム』62巻から描かれています。楊端和同様、羌瘣(きょうかい)もまた、歴史に名を残す人物ですが、女性という記述も、巫舞を舞ったという記述もありませんので、『キングダム』における創作でしょう。
『キングダム』史実”山の民の女王”楊 端和(ようたんわ)は実在した?まとめ
秦に楊 端和という将軍は実在しました。
しかし、男性であり、また、山岳民族であったという記録はありませんので、キャラクターは作者の創作のようです。
まだまだ楊 端和の大活躍は続きます!
映画の方も、長澤まさみさんのまたの出演を期待しましょう!
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