『キングダム』蒙武(もうぶ)の最後は?史実から考える5つのパターン

蒙武『キングダム』10巻p.50 (1) キングダム

『キングダム』に登場する秦の武将・蒙武(もうぶ)と言えば、『中華最強の漢』!

史実は意外なほど少ししか残っていない蒙武の最期はどんなものだったのでしょうか?

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『キングダム』での蒙武の活躍

『キングダム』10巻p.10

『キングダム』10巻p.10

紀元前245年『呂氏四柱』の一人として登場し、大王・嬴政に六大将軍復活を上奏しました。

これを危ぶむ蔡沢(さいたく)に対し、蒙武は猛々しく「中華最強の証明以外興味無し」と言い切ります!

蒙武『キングダム』10巻p.50 (1)

蒙武『キングダム』10巻p.50

紀元前244年には馬陽で王騎と共に戦いました。
猛獣のような暴れぶりでしたね!

蒙武『キングダム』16巻p.150

蒙武『キングダム』16巻p.150

紀元前241年合従軍の戦いでは軍師・昌平君から伝授された戦術『斜陣がけ』を用い、また、汗明を相手に力の限りを尽くして戦いました。

蒙武・汗明『キングダム』29巻p.158

蒙武・汗明『キングダム』29巻p.158

紀元前235年什虎で満羽と戦った時も、一度は落馬させられ、壮絶な一戦となりました。

蒙武『キングダム』60巻p.200

蒙武『キングダム』60巻p.200

そして紀元前234年、ついに復活した六大将軍の、第一席に選ばれた蒙武でした。

ガンダムくん
ガンダムくん

第一席も当然の武勲だよね!
蒙武を倒せる敵将なんか、いない気がしてきたぜ…

シャア専用ズゴック
シャア専用ズゴック

『キングダム』の将軍たちは年齢で衰えたりしないんだな!

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『キングダム』史実の蒙武(もうぶ)は?

panda
panda

史実では、王翦の副将として紀元前224年、223年に楚を攻めた事しか書かれてはいないんだ。

紀元前224年、李信と蒙恬を破った楚の項燕が秦に侵攻してきたので、蒙武は王翦の副将となって共にこれを破り、項燕は自殺した。

紀元前223年、再び蒙武は王翦の副将となって共に楚を攻め、楚王負芻を捕え、楚を滅ぼした。

wikipediaより

実は蒙武に関する歴史上の記述は上記のものだけです。

これまでの部分はすべて創作。わかっているのは中華統一に大きく貢献したということだけです。

しかし、秦の中華統一は紀元前221年。
蒙武の記録はその前に途絶えています。

とすると、『キングダム』では蒙武にはどんな運命が与えられるのでしょう?

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『キングダム』史実から推測する蒙武(もうぶ)の最後は?

蒙武の『キングダム』の中での最後について、何通りか想像してみました。

紀元前221年の中華統一前に死亡?

1.紀元前223年、楚を滅ぼしたのちに燕、代(趙の後に建国)、斉を落とす間に戦死?

戦続きの時代です。中華最強とはいえ、蒙武もどこかの戦場で散ってしまった可能性も。
ただ、この場合は記録が残るのではないかとも考えられます。

2.記録がない=戦に出ていない=病死?

楚を滅ぼしたのち、病を得た等の理由で引退後亡くなったとも考えられます。
引退した後であれば、記録に残らない理由もうなずけます。

3.紀元前223年の楚との戦では、元『呂氏四柱』の昌平君を討たねばならず、ショックで引退した?

肉体は最強でも、仲間であった昌平君を討たねばならないのはショックだったでしょう。
引退の理由はメンタルかもしれません。

ガンダムくん
ガンダムくん

えっ蒙武が昌平君を…?

シャア専用ズゴック
シャア専用ズゴック

そうなんだ。昌平君の記録には、はっきりと王翦・蒙武に敗れて戦死と書かれているんだ。

紀元前223年、異母兄弟の楚王負芻が秦に捕らえられ、楚が滅亡すると項燕により淮南で楚王に立てられ、秦に背いたが、王翦・蒙武に敗れて戦死した。(昌平君wikipediaより)

ガンダムくん
ガンダムくん

蔡沢も介億も『昌平君は蒙武より強かった』と話していたのに。

これはツライね。

紀元前221年の中華統一後に死亡?

4.紀元前210年、長男・蒙恬が自●を強要され死亡。
  紀元前209年、次男・蒙毅が趙高によって●害される。これにショックを受けて死亡?

息子2人は趙高(毐国の建国に貢献した宦官)の陰謀で相次いで●されてしまいます。
これは親としては受け入れがたい悲劇かも…

5.父・蒙驁のように長寿を全うした?

できればこのパターンであって欲しいですね。
でも『親父殿…』と献杯してくれる息子たちがいないのは悲しいことです。

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『キングダム』史実から考察する蒙武(もうぶ)の最後は?5つのパターンまとめ

幼いころに父・蒙驁に連れられて秦にやって来た蒙武ですが、蒙驁の実績によってか、蒙家は秦の名家となったようです。
このことは蒙恬について調べると『紀元前221年、家柄によって将軍となった』と書かれていることから推察されますし、『キングダム』でも蒙恬は「じい」を付けられお坊ちゃまとして育てられた描写がされています。

しかし蒙家の繁栄は長くは続かず、蒙恬、蒙毅の謀殺により一家は絶えてしまいました

できることなら蒙驁のように、蒙武にも穏やかな最期が訪れるとよいのですが。

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