『キングダム』の主人公、李信の結婚はいつになるのでしょうか?
史実から、信が結婚したであろうことを読み解き、その時期を推理します!
意外と、それは『間もなく』かもしれません…
『キングダム』信|作品中の年齢
信は紀元前259年の生まれと推察されます。
これは信、王賁、蒙恬の三人が出会った紀元前243年、信は数え年で17歳だったためです。
『キングダム』信|史実に残るその足跡
『キングダム』では下僕出身の少年でしたが、史実ではどうなのでしょう?
史実:李信は由緒正しい家柄の生まれ
信は老子を祖先に持つ家の生まれです。
李信の祖父の李崇は、字を伯祐といい、秦の隴西郡守・南鄭公となった。
李信の父の李瑤は、字を内徳といい、秦の南郡郡守・狄道侯となった。
李信は字を有成といい、秦の大将軍・隴西侯となった。
wikipediaより
下僕出身の少年の成り上がりの物語になったのは、『キングダム』の設定上の創作です。
史実:李信には子孫がいる
李信の子の李超は、またの名を伉ともいい、字を仁高といい、漢の大将軍・漁陽太守となった。
李超にはふたりの男子があって、長男が李元曠といい、漢の侍中となった。
李超の次男は李仲翔といい、漢の河東太守・征西将軍となり、反乱を起こした羌を素昌で討伐して戦没した。李仲翔は太尉の位を追贈され、隴西郡狄道県東川に葬られたことから、李氏はここに家をかまえた。李仲翔の子の李伯考は漢の隴西河東二郡太守となった。
李伯考の子の李尚が、漢の成紀県令となり、このため成紀県に居住した。
李尚の子が、漢の前将軍の李広であるとされる。
李広以下の子孫の記録は、五胡十六国時代の西涼の李暠へと続き、唐の高祖李淵にいたる。
また宗室世系表以外では李白も前述の李暠の九世の孫と記されている。wikipediaより
このように、李信には歴史に名を残す子孫が連なっていることがわかります。
『李信の子の李超』の出生年は明らかではありませんが、『キングダム』でもこの後信の結婚、李超の誕生、というエピソードが加わっていくでしょう。
ではそれはいつでしょう?
ここで李信の今後の活躍をちょっぴり先取りしてみましょう。
史実:李信の記録
『キングダム』66巻の時点で、紀元前233年です。信は数え年で27歳。
以下、史実と年齢を同様に併記します。
紀元前229年(信:31歳) 王翦とともに趙へ出征。
紀元前226年(信:34歳) 王翦・王賁とともに燕を攻略。
紀元前225年(信:35歳) 蒙恬とともに楚に出兵、大敗。
紀元前224年(信:36歳) 李信に代わり、王翦と蒙武が楚を滅亡させた。
紀元前222年(信:38歳) 王賁とともに燕を滅ぼした。
紀元前221年(信:39歳) 王賁・蒙恬とともに斉を滅ぼした。
信の結婚はいったいどのタイミングだったのでしょう?
『キングダム』信|結婚相手は誰?
『キングダム』信の結婚相手は羌瘣・河了貂・陽のいずれか、と考えられます。
詳細はぜひ別記事でご覧ください!
『キングダム』信|結婚はいつ?
『キングダム』最新刊67巻時点で紀元前233年。
趙の宜安を攻めている飛信隊ですが、最近の信は王賁の結婚と子の誕生に過敏に反応するシーンがありました。
宜安での戦いは、史実によると桓騎軍の敗北という結末になります。
27歳の信は、この宜安戦から大敗して秦に帰国したときに、傷ついた誇りと体を支えてくれる女性と結婚するのかもしれませんね。
この時26歳の羌瘣か、2,3歳年下の河了貂なのか、陽ちゃんだとしても向ちゃんがすでに王子を産んでいるんだからいいタイミングだよね!
誰なのかなあ~?
そうなると、単行本のおよそ70巻あたりで信の祝言・飛信隊の大宴会の場面が見られるかもしれません!
戦に負けて帰ってきても、信のでっかいお屋敷で大騒ぎ!っていい流れだよね。
『この戦で喪ってしまった仲間にも盃を捧げる信』が目に浮かぶよ!
なんだかんだと勝ち戦で進んで来た信だから、負けたその後に『禍福はあざなえる縄の如し』と結婚話が出ると予想するよ!
そうなると次のタイミングは紀元前225年(信:35歳)、楚の大敗の後になってしまうね。
読者としては、待ちきれないね!
『キングダム』信の結婚はいつ?史実から探るその時期は70巻か?まとめ
『キングダム』62巻で王賁の結婚を聞いた時に見せた動揺から察するに、すでに信は結婚、そして子どもを持つことを考え始めていると思われます。
ですので、現在進行中の宜安攻め(紀元前233年、信:27歳)の後、まもなく信の結婚、祝言の大宴会の描写があるのではと予想しました。
このタイミングでなければ、紀元前225年(信:35歳)でしょう。
皆さんはどう考えますか??
『キングダム』李信が将軍になるのはいつ?大将軍になるのは?最期は?
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