『キングダム』秦王・嬴政(えいせい)の父はどんな人?
幼い政と妻とを趙に置き去りにした父。
呂不韋の力で王位に就いたと言われる父。
即位後3年で世を去り、13歳の政に王位を譲った父。
政の父・荘襄王についてご紹介します。
なお、本編中に冗談で交わされる “本当の父” 疑惑について、検証していきます。
『キングダム』嬴政の父その数奇な運命
政の父、荘襄王について史実をひもといてみましょう。
あまりにも地味な王の孫
嬴政の父・嬴異人(えい・いじん)はキングダムに登場する ”偉大なる昭王” の孫です。
昭王=昭襄王の長男が人質となっていた魏で亡くなってしまったため、次男の安国君が太子となりました。
安国君には20人以上の子がいました。
妾の一人、夏姫との間の子が異人です。
異人の母・夏姫は安国君に飽きられたのか、異人と夏姫は捨て駒のように趙の人質になりました。
趙・邯鄲の大商人の呂不韋は「これは珍しい価値を生み出す人物だ。我々が投資すべきだ(奇貨居くべし)」と思いつきます。
呂不韋は異人にお金をかけて、評判の良い人物に仕立て上げます。
妾の子より有力な正妻の養子に!
呂不韋は安国君の正室・華陽夫人に「オタク子どもがいないから、このままだと子傒が太子になっちゃうよ。立場を固めるために異人を養子にしたら?」と持ち掛け、異人は安国君の正室の養子となれました。
華陽夫人は楚のプリンセスだったので、この機会に異人の名前を嬴子楚(えい・しそ)と改名しました。
きれいな奥さんもどうぞ!
『キングダム』にも出てきますが、呂不韋は自分の恋人だった美姫(趙姫と呼ばれていた)を子楚に献上します。
太后にまでなったのに、名前は伝わっていないんだ
紀元前259年2月18日、政(せい)が誕生します。
暗殺されたら大変、とりあえず子楚は秦へ行きましょう、妻子は放置で。
紀元前258年、秦と趙の争いのため命が危なくなった子楚を、呂不韋が秦へ逃亡させます。
しかし、政親子は趙に留まります。
『キングダム』ではその後の7年、趙で虐待され、生活にも困っていた様子が描かれます。
(1)政、秦へ行く~『キングダム』版
紀元前251年。昭王が亡くなったため、子楚が太子となります。
この時王の側近昌文君は、次期太子となる政を秘密裏に出国させようとするのです。
闇商紫夏(しか)の力を借りて命懸けで脱出するエピソードは感動ものですね!
昭王の死後、子楚の父・安国君が孝文王として即位するのですが、なんと即位3日で亡くなってしまうのです!
孝文王の喪が明けた後、子楚は紀元前249年に荘襄王として即位します。
(2)政、秦へ行く~wikipedia版
wikipeiaによると、趙は政と母を秦に送り返してくれたようですね。
たしかに、『キングダム』では太后が秦に来る方法が語られていませんね。
呂不韋がなんとかしてくれたのかな?
昭襄王56年(紀元前251年)、昭襄王が没し、1年の喪を経て、孝文王元年(紀元前250年)10月に安国君が孝文王として即位すると、呂不韋の工作どおり当時子楚と改名した異人が太子と成った。
そこで趙では国際信義上やむなく、10歳になった 政を母の趙姫と共に秦の咸陽に送り返した。
ところが孝文王はわずか在位3日で亡くなり、「奇貨」子楚が荘襄王として即位すると、呂不韋は丞相に任命された。
wikipedia『始皇帝』より
『キングダム』嬴政の父はまさかのあの人?
『キングダム』40巻では呂不韋が政のことを「さすが私の息子です」と言っています!
政の母親が元呂不韋の恋人だったことから、そこに居合わせた一同はぎょっとするのですが、そのすぐあとに「しかし蓋を開けてみれば出産した日がどうやっても計算が合わなかった」と言いますので、冗談として片付けられています。
しかし、こちらのシーンを見てみましょう。
『キングダム』60巻では、河南の地での内乱の疑いを抱いた政が呂不韋に会いに行きます。
愛情…を感じてしまいますね。
本人の口から「冗談であった」と言われても、ここにきて「まさか…」と思ってしまいます!
嬴政の父はまさかのあの人?wikipediaでは?
【呂不韋父親説】
・漢時代に成立した『史記』「呂不韋列伝」には、政は異人の実子ではなかったという部分がある。呂不韋が趙姫を異人に与えた際にはすでに妊娠していたという。
・後漢時代の班固も『漢書』にて始皇帝を「呂不韋の子」と書いている。【呂不韋父親説は誤り】
・始皇帝が非嫡子であるという意見は死後2000年経過して否定的な見方が提示されている。
・呂不韋が父親とするならば、現代医学の観点からは、臨月の期間と政の生誕日との間に矛盾が生じるという。
・『呂氏春秋』を翻訳したジョン・ノブロック、ジェフリー・リーゲルも、「作り話であり、呂不韋と始皇帝の両者を誹謗するものだ」と論じた。
・郭沫若は、『十批判書』にて3つの論拠を示して呂不韋父親説を否定している。
①『史記』の説は異人と呂不韋について多く触れる『戦国策』にて一切触れられていない。
②『戦国策』「楚策」や『史記』「春申君列伝」には、楚の春申君と幽王が実は親子だという説明があるが、呂不韋と始皇帝の関係にほぼ等しく、小説的すぎる。
③『史記』「呂不韋列伝」そのものに矛盾があり、始皇帝の母について「邯鄲諸姫」(邯鄲の歌姫)と「趙豪家女」(趙の富豪の娘)の異なる説明がある。政は「大期」(10カ月または12カ月)を経過して生まれたとあり、事前に妊娠していたとすればおかしい。
・陳舜臣は「秦始皇本紀」の冒頭文には「秦始皇帝者,秦荘襄王子也」(秦の始皇帝は荘襄王の子である)と書かれていると、『史記』内にある他の矛盾も指摘した。
どうやら、呂不韋父親説は否定的な声が多いようです。
「冗談じゃよ」という呂不韋の言葉にうなずいておきましょう。
『キングダム』嬴政の父はどんな人?まさかのあの人説も!
『キングダム』嬴政の父・荘襄王の数奇な運命についてご紹介しました。
呂不韋が宮廷で権力を握ってしまっているのもわかるような気がしますね。
また、呂不韋が冗談で「(政は)自分の息子」と言っていますが、現在の研究によると呂不韋の子ではないようです。
政のこれからの物語が、ますます楽しみになってきました!!
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