アカデミー賞ノミネートの呼び声も高い日本映画『ドライブ・マイ・カー』。
リバイバル上映感を探して観てきました!
昨今の映画事情では3時間という上映時間は珍しくはありませんが、この時間をゆっくり、ゆっくりと使って、心の中に沁み渡るような波紋を届けてくれる、素晴らしい作品でした。
映画『ドライブ・マイ・カー』あらすじ
俳優・家福(西島秀俊)の妻・(霧島れいか)は脚本家。美しい妻と家福は愛情で結ばれ、おだやかな幸せに包まれて暮らしていましたが、ある日、偶然家福は妻の浮気現場を目撃してしまいます。
そのことを問いただすこともないまま、妻は突然のくも膜下出血で帰らぬ人となってしまします。
それ以来、家福は自分で演じることをやめ、今回は演出家として、広島の演劇祭で仕事をすることになります。
稽古場と宿泊施設との往復のため、そしてトラブル防止のために主催者が家福の車を運転する運転手を手配し、やって来たのが23歳の渡利みさき(三浦透子)です。
家福はオーディションの応募者の中に、妻の浮気相手・高槻(岡田将生)を見出し、役を与えます。
高槻の中に妻が求めたものを探そうとする家福ですが、彼の若さ、危なげな衝動を見出し、そして美しい妻を心から愛していたものの喪失感を共有することになります。
禍福が演出する舞台は、韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、ドイツ、マレーシアなど多国籍の役者がそれぞれの母国語でセリフを言い、字幕を入れるものです。話すことができず、手話でセリフを言う役者も採用されます。
演劇の題材『ワーニャ伯父さん』の本読みでは、出演者たちはただ台本を棒読みさせる家福に戸惑いますが、やがて、チェーホフのテキストが引き起こす情動を伝えることが目的であるということがわかってきます。
順調に稽古が進んでいる中、主役のワーニャを演じる高槻が、暴行致死事件を起こし逮捕されてしまします。
公演を中止するか、主役のワーニャを家福が演じるか、主催者に2日間の猶予を貰った家福は、運転手みさきの故郷、北海道の上十二滝村に行ってみたい、と言います。
フェリーに乗っての長旅の間に、寡黙なみさきも自分の身の上を話します。
夜の仕事の母親の送迎のために車の運転が熟達したこと、生家は土砂崩れに飲まれ、そこで母を亡くしたこと。
上十二滝村の、壊れた家の残骸には雪が降り積もっています。
家が半壊して外へ逃れたみさきは、「自分は母を見殺しにしたのか」という思いに、
自分が留守の間に妻を亡くした家福は「自分が早く帰宅すれば妻は死なずに済んだ」という思いに、それぞれ苦しんで来たことに気づきます。
広島に戻った家福はワーニャの役を演じます。
「死んだ者のことを考え続け、でも、生き続けなければいけない」
手話の女優、ユナ(パク・ユリム)が全身で、目で、息遣いで語ります。
「私たちは苦しみました、泣きました、つらかった。でも生き続けることしかできない」
劇の中のメッセージと出演者それぞれの物語が重なり合うこの瞬間、大きな癒しの波紋が、劇場を、そしてスクリーンからこの映画を観ている私たちの心の奥までを、満たしていきます。
『ドライブ・マイ・カー』原作は村上春樹
原作は、村上春樹さんの短編集『女のいない男たち』(文春文庫)から『ドライブ・マイ・カー』『シェエラザード』『木野』の3篇をモチーフにして組み立てられています。
短編集とはいえ、同時期に書き上げられたものなので、統一感があり、上質な後味を残してくれるオススメの一冊です。
劇中劇はこれ
劇中劇として登場するのが『ワーニャ伯父さん』(アントン・チェーホフ)と『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット)。
『ワーニャ伯父さん』は、死んだ妹の夫・セレブリャコフ教授の生活を援助するため姪のソーニャと必死に働き、仕送りを続けてきたワーニャが、教授が俗物であることを知り、自分の人生を棒に振ったことを後悔するという話。
姪のソーニャも、家に出入りする医者アーストロフに惹かれていたが、彼はセレブリャコフの若い後妻・エレーナに心を奪われていて失恋してしまいます。
ソーニャは傷つきながらも、絶望しきっている伯父を優しく慰め、また今日から生きていこうと二人で決意する物語です。1897年初演です。
『ゴドーを待ちながら』は存在するのかしないのか、来るのか来ないのかわからない「ゴドー」という人物を待ち続ける、という物語。1952年の作品です。
家福の妻の音が、高槻を連れて家福の舞台を見に来た時の演目。
この時も多言語による上演でした。
青空文庫版の『ワーニャ伯父さん』は無料で読めます。
映画『ドライブ・マイ・カー』感想と涙腺崩壊の理由
3時間という長丁場を感じさせないのは、人物の心の奥へと沈み込んで探り続ける『静』の部分と、真っ赤なサーブでドライブするシーン、『動』の疾走感が交互に訪れるからかもしれません。
丁寧に紡がれた物語の感想をまとめてみました。
妻の秘密と「話したいこと」
美しい脚本家の家福音は、ベッドの中で物語を思いつき、夫に話して聞かせる、それが創作のパターンでした。夫婦は穏やかな愛情で固く結ばれていたのです。
ある日、家福悠介は仕事で海外へ飛ぶ予定だったのですが、飛行機が欠航になり、空港からUターンして帰宅します。すると、自宅で妻が高槻と浮気をしている現場を目撃してしまいます。
心乱れる家福ですが、妻の前では気づかぬふりをしています。
「今夜話したいことがある」と告げた妻の前から、逃げるように家を出た家福が帰宅すると、もう妻は急死していたのです。
話したい事って何だったんだ??
「あなたは気づいていると思うけど、私、実は浮気してるの」
だったんじゃないかな?
夫が気づいていることをわかって、「浮気のことだけど、相手の男の子のことは何とも思ってないからね!大切に思ってるのはあなただけだからね」って言おうとしたんじゃないかな?
はぁ?何それ!虫が良すぎないか?
だってさあ、現場に踏み込んでるわけだから、その最中には気づかなくても、「ドアの閉まる音を聞いた」とか「鍵がかかってなかった」とか、「バレた」とわかったんじゃね?
うーん……家福はスゴク苦しんでるんだけど、奥さんにとっては何でもないこと、という可能性はあるね。
映画の中でみさきは
「音さんはただ単にそういう人だった。
家福さんを心から愛したことも、他の男性を求めたことも、何の嘘も矛盾もないように思います」と言っていたね。
小説の中ではみさきが「奥さんはその人に心なんて惹かれていなかった」
「そういうのって、病のようなもので、頭で考えてもどうなるものでもない」
「こちらでやりくりして、吞み込んで、ただやっていくしかない」って言っているんだ。
家福はこれ以前に、3回は同じように妻が浮気していたことを確信しているのです。
不貞に気付いていることを伝えないまま、妻は突然の死に奪い去られてしまいます。
原作では子宮癌で病死するんだけど、不倫相手の見舞いを拒み続けるというストーリーだったよ
そのくだりを入れたら、映画は4時間だな(笑)
家福夫妻は幼い子どもに先立たれていて、二人ともその傷が癒えていません。
「生きていたら今23歳」死んでしまったわが子の年齢を数え続けています。
このこともあって、家福には妻を気遣う気持ちが大きすぎて、自分は苦しくなってしまったかもしれません。
「音にまた会えたら、問いただして、自分は傷ついたと言いたいよ!音に、もう一度会いたいよ!」
みさきとの旅の果てに辿り着いた家福の心の奥底には、こんな言葉が隠れていました。
二度と巻き戻すことの出来ない時間、絶対に叶わない願い。
でもこのモヤモヤした思いを「コトバ」に変えたことで、家福は過去にとらわれることをやめて、今を生きることができるようになったのではないでしょうか。
それが愛車、赤のサーブをみさきにあげた理由だと思います。
高槻のセリフが実は深い
家福は高槻を妻の浮気相手と知っていますが、高槻はバレているとは思っていなかったでしょう。
でも、親しくなるにつれ「音さんのことを聞かせてください」などと言い出し、家福は高槻もまた、音を深く愛し、喪失感にさいなまれていることを知ります。
「どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。」
また、音がベッドで脚本のアイデアを話して聞かせる、というのは短編『シェエラザード』からのモチーフですが、家福のまだ知らない物語を高槻が聞いたことを、知ってしまった家福の心中はどんなだったでしょう。
何でも知りたかったはずなのに、知らなければよかった、という思いになったかもしれません。
この後の高槻の逮捕、という展開を受け入れやすくなりますね(笑)
サンルーフから煙草を掲げて
家福が大事に乗っている赤いサーブにはサンルーフがついています。
高槻の告白を聴いた後、家福はみさきにも煙草を勧め、二人で喫います。
普段は車内では煙草を吸わないので、上を向いて煙を吐き出し、火のついた煙草はサンルーフから夜空に掲げます。
二人の煙草の赤い火が夜空にきらめいて、二本のロウソクのようで印象的でした。
動揺したんだろうな……
ところで、原作の車は黄色いサーブのコンバーチブル(オープンカー)なんだよね!
赤の方が絵的に映える、ということで赤になったらしいよ
手話~心を伝え合うこととは
多国語が混在する演劇の稽古の中で、台本読みの時間に日本人の役者は言います。
「外国語のセリフ聴いてると眠くなってくるのよね」
ではなぜ、多言語の演劇が成り立っているのでしょうか?
役者が発するのは『セリフ』だけでなく、『感情』を全身で伝えあうからでしょう。
手話の女優パク・ユリムさんの発するものは『気』でもあり、ほとんど『テレパシー』の域かもしれません(笑)
能弁よりも「この想いを伝えたい」という気持ちこそが相手に届く。
偶然、前日に『CODAあいのうた』を鑑賞した筆者は、改めてこのことを確信しました。
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劇中劇と重なる再生の物語
『ワーニャ伯父さん』の演劇を作り上げる彼らのセリフは、そのまま家福に、みさきに、響いていきます。
高槻が劇中で女優に迫る場面では、家福は、耐え切れなくなりカットをかけたこともありました。
しかし、北海道への旅で自分の心の奥底と向かい合うことのできた家福に、ラストシーンは温かい、再生の言葉を注ぎ込んでくれるのです。
ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。
長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。
運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。
今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。
そして、やがてその時が来たら、素直に死んでいきましょうね。
あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送って来たか、それを残らず申し上げましょうね。
すると神様は、ああ気の毒に、と思ってくださる。
その時こそ伯父さん、あなたにも私にも、明るい、すばらしい、何とも言えない生活がひらけて、まあ嬉しい!と思わず声を上げるのよ。
そして現在の不仕合せな暮らしをなつかしく、ほほえましく振り返って、わたしたちほっと息がつけるんだわ。
『ワーニャ伯父さん』四幕より抜粋
赤いサーブは韓国へ!
原作にはない展開ですが、ラストシーンは韓国のスーパーマーケットでみさきが買い物をしています。
買い物袋を抱えて駐車場で乗り込むのは赤いサーブ900。
広島の演劇祭のコーディネーターは韓国人コン・ユンス(ジン・デヨン)で、みさきを家福の運転手にと決めたのもこの人物でした。
ですので、みさきに運転手の仕事をさせるために韓国に呼び寄せたのかもしれません。
ちなみに手話の女優イ・ユナ(パク・ユリム)は、コンの妻です。
さらに想像ですが、家福は妻との思い出がたくさん詰まった愛車サーブを、感謝の気持ちと共にみさきにプレゼントしたのではないでしょうか。
みさきは「この車好きです。とても大事にされているのがわかるので。私も大事に運転したいと思うんです」と言っていましたからね!
【ネタバレあり】『ドライブ・マイ・カー』あらすじ感想と涙腺崩壊の理由まとめ
映画『ドライブ・マイ・カー』のあらすじと感想、ラストシーンの意味の考察をまとめてみました。
この物語がわたしたちの涙腺を直撃するのは、誰もが心の中に抱えている小さな秘密や、直視したくない罪悪感と向き合うことと、手放す方法を教えてくれるからです。
一人では怖い、認めたくない自分なりの罪悪感も、家福とみさきのように、一緒に向き合ってくれる人がいれば、向き合うことができること。
心の中がモヤモヤするのは、言えなかった言葉が押し込められているからであること。
『どうしてそんなことをするの?僕は傷ついた。君を愛しているから、ずっと一緒に居たいから!』
言葉にした自分の気持ちを知り、亡き妻の事も、亡き娘の事も、亡き母の事もずっと覚えていたらいい。
一日一日を、ただ生きていたらいい。
『ターミネーター』だな!
そんなことを教えてもらった映画でした。
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