2022年、芥川賞を受賞した『おいしいごはんが食べられますように』。
1回目に読み終わったとき、ぐったりするほどの嫌悪感と恐怖に包まれてしまいました。
ではこの嫌悪感の正体は何でしょう?
探りながら2回目を読み進むうち、この本の正しい読み方が分かってきました。
ネタバレありになりますが、感想と「正しい読み方」を記していきます。
『おいしいごはんが食べられますように』著者プロフィール
著者:高瀬 隼子 (たかせ・じゅんこ)
生年月日:1988年
出身地:愛媛県新居浜市
学歴:立命館大学文学部(哲学専攻)卒業
受賞歴 | ||
2019年 | 『犬のかたちをしているもの』 | 第43回すばる文学賞 |
2021年 | 『水たまりで息をする』 | 第165回芥川賞候補 |
2022年 | 『おいしいごはんが食べられますように』 | 第167回芥川賞受賞 |
『おいしいごはんが食べられますように』あらすじと1回目の感想
表紙に『心のざわつきが止まらない。最高に不穏な傑作職場小説』とあります。
読む前に覚悟してください。
間違っても、リフレッシュしたい週末には手に取らないでください。
モヤっとしますから…
登場人物を紹介しましょう。
パワハラ支店長、うざい上司・藤。
小うるさいパートのおばちゃん・原田と、くせ者の『芦川さん』。
主人公の二谷は腹に不満も嫌悪も溜め込むのに、口に出さない今風の若者。
正直、普段からこんな目線で仕事してたら病むよね?と思ってしまうほどの執拗な悪意に満ちた切り口です。
世の中の女性の多くが共感するであろう『押尾さん』は、『体調が悪い』を理由に仕事の無理をしない、イヤ、ラクをするのが上手い『芦川さん』を嫌っています。
『最強の働き方』をしている芦川さんにむかつくんだけど、それはうらやましいのかもしれなくて、その感覚を共有していると思った二谷に「わたしと一緒に芦川さんにいじわるしませんか」と持ち掛けます。
芦川さんも相当いやな女だけど、そういう押尾もずいぶん性悪ですよ。あー、不快。
二谷はおとなしくしているようで、ちゃっかり芦川さんと付き合っています。
そしてそのことは、意外と職場でバレバレです。
二谷の好みは「頼りない、弱い感じの優しい女性」。
ほらねやっぱり!と憤慨しそうになると、ホラーが襲ってきます。
芦川さんが丁寧に作ってくれる手料理の夕食を食べ、いっしょに眠っているのに起き出して、カップラーメンを食べるのです。
二谷は「食」に対して全く執着がないので、時間をかけて準備してあっという間に食べきってしまう手料理にも、また、礼儀として「おいしいおいしい」と言わなければならないことも面倒でたまらないのです。
さらに恐ろしいことに、家できちんとしたものを食べた後、要するに芦川さんの手料理を食べた後は、カップラーメンでそれらを蹂躙せずにはいられないのです。なんだこの男は。
忙しいさなか、「頭が痛い」と早退する芦川さんは、「お詫びに」と手作りのお菓子を職場に持ってきて配ります。
みんなが「すごーい」「おいしいー」とほめると、一人だけ残業しないで帰る芦川さんは頻繁にお菓子を作ってくるようになります。
二谷はそのお菓子を憎んでいるかのように潰し、ビニール袋に入れて、捨てます。
押尾さんは誰がやったものかもわからぬまま、そのビニール袋を翌朝芦川さんの机に載せます。
途中からは押尾さんもやってるね、これは!
街中で猫を見かけると「かわいい」と言ってみせる芦川さん。
穴に落ちた子猫を泥まみれで救出する押尾さん。
その時一緒にいたのに「誰か呼んでこよう」しか思いつかない芦川さん。
それでも男子は芦川さんが好きなんだよね!
新年会では自然に上司にこびて見せることのできる芦川ですが、ここでまたホラーが襲います!
「私のケーキを捨てている人がいる」とその上司に訴え、押尾さんを退職に追いやったのです。
ケーキ捨ててるのなんか、とっくの昔にわかっているのに…新年会で媚を売って、それからおもむろに攻撃するわけね。
うわーダークな女!
そして最後の恐怖はラストシーン。
押尾さんと異動になる二谷の送別会で、二谷は芦川さんに「おれたち結婚すんのかなあ」と呟くのです。
「わたし、毎日、おいしいごはん作りますね」と、クリームでコーティングされた甘い声でささやく。」揺らがない目にまっすぐ見つめられる。幸福そうなその顔は、容赦なくかわいい。
高瀬 隼子『おいしいごはんが食べられますように』講談社p.108
うわーキモ!
お菓子もご飯も嫌だったんじゃなかったの?
結婚するなら可愛いければいいの??
まあ、世渡り上手なことは認めるけど・・・
と、ひたすら不快な読後感でした。
休日に本を読むなら、別世界を目の前に繰り広げてくれるような本がいいのに。
平日の不快感をさらに凝縮して投げつけられる感じ?
キンドルから削除しとこう、と思いました。
『おいしいごはんが食べられますように』との向き合い方について
この本を読んだことも頭から追い出し、ある日会社のことをふと考えているうちに、もしや、と気づいたことがありました。
この本って、「我慢しなくていいよ」っ言ってるのかな?ということです。
不本意ながらもう一度ページをめくりなおします。
見て見ぬふりをしているけど、自分の周りにいるでしょ、パワハラ上司。
小うるさいおしゃべり女。
黙って不満を腹に溜めるだけの草食系男子。
気付かぬふりをやめて、いつも見て見ぬふりをしているあの人この人を当てはめながら読んでみると、意外なことに1回目の不快感が薄れ、「あいつら、バレバレなんだよ!」という黒い感情が自分の中から出て来て…そして心地よく消えていきます。
当人はうまくやっているつもりでも、周りの目は意外と見ているもの。
自分の立ち位置を意地悪な視線に揃えてみると…あら不思議!快感に代わっていきます。
この小説が、日常の中に潜む嫌悪感を言語化してくれているのです。
そして1回目には気の毒に見えた押尾さんが愛しく見えます。
押尾さんがついついやらかしてしまうような所すらも、可愛らしく見えてくるのです。
芦川さんに対しては…結局オマエが勝つのか、というジメっとした感情は残ります。
しかし、最後に見せる腹黒さを知ると、『二谷君も苦労するよ』の一言で許せてしまえそうですよ。
二谷君、毎晩おいしいご飯作ってもらって、インスタントラーメンを食べ続けていたら、たちまち太りそうですが(笑)
芦川さんみたいな人が奥さんだったら、余計なこと言わず、気に障ることもなく、ただただカワイイで毎日が過ぎていくのかな。
お菓子も料理も許してないのに、なんでこの男は「結婚」とか口にするかな。
しかし、いい加減二谷を嫌いになっているので、ま、やってみれば?と突き放した視点で見ていられるのが痛快です。
自分で「気づきたくない」「私はそんなこと気にしない」と押さえつけている負の感情をさらけ出し、自分に愕然とする、それがこの小説の楽しみ方かと思いました。
『おいしいごはんが食べられますように』の正しい読み方。日常の中にひそむ嫌悪感の正体は?まとめ
現代社会のあわただしさの中、自分の感情に蓋をして生きていますよね。
この小説は、あえて「職場」という狭い社会の、「上司と同僚」という狭い人間関係にフォーカスすることで、自分の中にも同じ感情があることに気付かせてくれます。
気付いて、言語化できれば、あとはシャボン玉のように消えて行くだけかもしれない。
でも、見ないように顔を背けていると、だんだんそれは大きくなってしまうかも。
この小説を読んで不快になった人は、きっと「それ」を持っている。
持ってなければ「面白くなかったな」で終わるはずですから。
だからどうかもう一度、この本を手に取って読んでみてください。
2回目は週末でもOKですよ!
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