『人間失格-太宰治と3人の女たち』着物はどこの?女たちの素性は?

映画

蜷川実花監督の映画『人間失格-太宰治と3人の女たち』目を奪う美しい色彩の乱舞に恍惚としてしまいますね。

特に興味をそそられたのは着物です。

太宰の妻・美知子(宮沢りえ)と行きつけのバーのマダム(壇蜜)の着物姿が美しかったので、いったいどんな着物なのか?調べてみました。

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映画『人間失格』太宰の妻・美知子(宮沢りえ)の着物1

最も印象的だった美知子のイメージカラー・青の着物。

これは『日本橋 丸上(まるじょう)』さん提供のものと思われます。


9月13日からロードショーとなる人間失格に数枚の着物を衣装協力をさせていただきました。小栗旬さん着用のひげ紬や宮沢りえさん着用の米沢織の着物などです。やっぱり芸能人の方はオーラが違ってかっこいいです。

丸上社長ブログより引用

色合いがとても綺麗で、雨戸を開けると一面の菖蒲の青、のシーンでは息をのむ美しさでした。

「日本橋丸上さん」のインスタ、「日本橋好み」

1日中見ていられそうなほどキレイ♡

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映画『人間失格』太宰の妻・美知子(宮沢りえ)の着物2

アンティーク着物のようですね。縞の具合も色もとてもいいですね。

銀座のアンティーク着物屋Wingさんのものです。

一度ギャラリーに足を運んでみたいな。
浴衣レンタルもあるんだー

映画「人間失格太宰治と3人の女たち」より

昭和初期の薄暗い家の中で半襟の白が映えますね。
そしてこの帯の可愛らしいことと言ったら!

『人間失格』あらすじー3人の女を幸せにした太宰治の愛の形
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映画『人間失格』太宰の妻・美知子(宮沢りえ)の着物3

台所に立つ美知子の日常着としての着物姿。
こんな風にシンプルできちんとした着付けができたら、毎日が特別な一日になりそうですね。

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映画『人間失格』バーのマダム(壇蜜)の着物

蜷川実花公式ブログー映画人間失格ーより

なんと美しいのでしょう!
着物自体も綺麗ですが、着物は人が纏って初めて輝くものだと感じました。

壇蜜さん素敵です。

残念なことにどこの着物かわかりませんでした。

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映画『人間失格』太宰治(小栗旬)の着物

主人公太宰治が着ていた着物はこちらです。

こちらも『日本橋 丸上』さんのもの。


着物姿を見ると、この「蜷川ヴァージョンの太宰」 が小栗旬でなければならなかった理由がわかる気がしました。

シャツが少しよれたスーツ姿もセクシーでしたが、断然着物がいい。

古来、日本の男の逞しい身体を包んできたのは、着物であったと再認識してしまいます。

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映画『人間失格』寝巻としての浴衣

映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」より

宮沢りえさん演じる太宰の妻・美知子が着ているだけでも、3枚のどれもすてきな浴衣が出てきます。
これらはエンディングに社名が出ていた株式会社竺仙さんのものかと推理しました。

美知子が竿竹に洗濯物を干すシーンに手拭が出てきますが、手拭も竺仙さんでしょうか。

高温多湿の日本の気候に浴衣、洗ってもすぐ乾く手拭は合理的だったのでしょう。

寝巻を浴衣に、ならすぐできそう!

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『人間失格-太宰治と3人の女たち』着物で考察する女たちの素性

『斜陽』が売れても、税金の支払いに苦悩する太宰夫妻。
印税は太宰治が酒に女に遣ってしまったのでしょう。

しかし妻・美知子は貧しさを感じさせない、なかなか良い着物をお召しです。
いったいどんな女性だったのでしょう?

津島(石原)美知子

1912年(明治45年)島根県生まれ。お父さんは中学校の校長先生。
1929年(昭和4年)3月、山梨県立甲府高等女学校(現・山梨県立甲府西高等学校)卒業。
1933年(昭和8年)3月、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業。
同年8月4日、山梨県立都留高等女学校(現・山梨県立都留高等学校の前身の一つ)の教諭に就任。地理と歴史を教える。
1938年(昭和13年)井伏鱒二のつてで太宰との縁談がすすめられる。
1939年(昭和14年)結婚
1941年(昭和16年)6月8日、長女園子を生む。
1944年(昭和19年)8月10日、山梨の実家にて長男正樹を生む。
1947年(昭和22年)3月30日、次女里子を生む(後の作家津島佑子)。

学校の先生をされていた、とても知的な方だったのですね!
劇中で太宰を叱咤するシーンも、これで納得です。
和装を通していたのは、他の2人よりも古風な、保守的な女性であったという表現でしょうか。
それとも、本妻という2人とは別の存在であることをわかりやすくする表現だったのでしょうか。
いずれにしても、最も強い女性であったと思います。

太田静子

1913年(大正2年)滋賀県生まれ。お父さんは開業医。
実家は九州の大名の御典医の家系。
母方の叔父は大和田悌二(逓信省次官で、退官後日本曹達社長、日本電信電話公社経営委員長)。
愛知高等女学校(現・滋賀県立愛知高等学校)卒業
1934年(昭和9年)実践女学校家政科入学。短歌を作り始め、口語歌集『衣裳の冬』を芸術教育社から刊行。実践女学校を中退。
父母による帰郷要請を拒んで東京に残り、弟と同居しつつ前衛的な詩歌や小品文を創作。傍ら、画塾や琴の稽古にも通った。
1939年(昭和14年)11月、長女満里子を産むも、1ヶ月足らずで早世。
1940年(昭和15年)2月、協議離婚。
1941年(昭和16年)太宰治にファンレターを送り、三鷹の太宰宅を訪問する。
1943年(昭和18年)秋、家主の加来金升の親友であった叔父悌二の紹介で神奈川県足柄下郡下曾我村の山荘「大雄山荘」に疎開。

『斜陽』では19の時に父を亡くし、東京の家を売り払い、叔父「和田」の勧めで伊豆の山荘に移り住む没落貴族が描かれています。

蜷川ヴァージョンの太田静子はピンクのワンピースの似合う可憐な女性でしたが、元華族のお嬢様であったということが裏付けられました。

実際に文才があり、その文章が太宰を惹きつけていたことのですね。

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山崎富栄

1919年(大正8年)東京生まれ。お父さんは日本最初の美容学校の設立者。
父の下で美容技術の英才教育を受けて育つ。
錦秋高等女学校卒業。
聴講生として慶應義塾大学に学ぶ傍ら、義姉と共に、銀座で美容院を経営。
1944年(昭和19年)三井物産社員奥名修一と結婚。しかし新婚わずか10日余りで修一は三井物産マニラ支店に単身赴任。この地でアメリカ軍上陸を受けて現地召集され、マニラ東方の戦闘に参加したまま、行方不明となった。
1946年(昭和21年)東京都・三鷹に移住。ミタカ美容院に勤務する傍ら、夜は進駐軍専用キャバレー内の美容室に勤務。

美容師さんだったんですね。
太宰と知り合ったとき当時の金額で20万円あった貯金は、太宰の飲食、薬、接待費で使い果たされていたそうです。

どんだけ人間失格なんだか…

富栄はかっちり仕立てられたワンピース、個性的なプリントのブラウスと終始洋装でしたが、いわゆるモダンガールであったのでしょう。

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まとめ

3人の女性の着物から、それぞれの半生を辿ってみました。

実在の太宰治像や文学作品との対比はどうあれ、3人(+1人)の女性に関しては、それぞれのキャラクターにふさわしいものを身に纏っていたように感じます。

蜷川実花さんの美しい色彩の前ではどうでもいい考察かもしれませんが。

今は「衣」に関して誰でもさまざまな選択肢を持っている時代です。

そんな中、私たちは自分のキャラクターを語る装い、できているのでしょうか。

ファストファッション一辺倒ではもったいないような気がしてきました。

 

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