『キングダム』の中で伝説のように語られる『六大将軍』とは?
主人公・信はかつての六将の一人・王騎に憧れ、「天下の大将軍になる」ことを決心します。
国内統一後、新たに定められる六大将軍とかつての六代将軍を、それぞれを一覧でご紹介します。
『キングダム』秦の新・六大将軍とは
かつて『秦の六大将軍』は他国を震え上がらせる存在でした。
国内統一を果たした秦王・嬴政(えいせい)が六将を復活させる理由とは何だったのでしょう。
六大将軍復活の目的は?
紀元前238年、毐国反乱を押さえ国内統一を果たした秦王・嬴政は「ここから15年で中華を統一する」と宣言します。
中華統一は紀元前221年だから、ほんとうにこのあと17年で統一を成し遂げるんだ!すごいな。
- 人材登用法を見直し、国内国外・身分を問わず人材を発掘していくこと。
- 秦軍の予算を倍にして兵や軍馬を増強すること。
- 六大将軍を復活すること。
この3つを目標として掲げます。
そして紀元前235年、ついに六大将軍が復活します!
六大将軍の顔ぶれは?
蒙武・騰・王翦・楊端和・桓騎の五人が選ばれ、第六席は空席とされました。
第一将・蒙武 | |
第二将・騰 | |
第三将・王翦 | |
第四将・楊端和 | |
第五将・桓騎 | |
第六将・空席。 | ? |
最後の一席にはいったい誰が座るのでしょう?
信、王賁、蒙恬じゃないの?主人公なんだし…
録鳴未、壁も上にいるからね。どうなっていくんだろうな!
『キングダム』秦の旧・六大将軍とは
”戦神”と呼ばれた昭王(昭襄王)の時代(紀元前306年~前251年)、秦は他国の脅威でした。
その理由は、昭王によって任命された六人の大将軍が『戦争の自由』の権限を与えられ、暴れまわったからでした。
六人の名前は白起(はくき)、王齕(おうこつ)、胡傷(こしょう)、司馬錯(しばさく)、摎(きょう)、王騎(おうき)。
昭王と六人の大将軍との間は揺るぎない忠誠心で繋がっていたため、可能であったことです。
六人とも実在の人物で、この時代に大きな功績を残しています!
白起(はく き) ? – 紀元前257年11月 |
紀元前294年、左庶長に任ぜられ、韓の新城を攻めた。
紀元前293年、左更にすすみ、韓・魏を攻め、伊闕の戦いで24万を斬首した。また、魏将の公孫喜を捕え、5城を落とした。 紀元前292年、大良造に任じられ魏を攻め、大小61城を落とした。 紀元前278年、楚を攻め、楚の首都の郢を落とした(鄢・郢の戦い)。 紀元前273年、魏の華陽を攻め、韓・魏・趙の将軍を捕え、13万を斬首した(華陽の戦い)。 紀元前264年、韓の陘城を攻め、5城を落とし、5万を斬首した(陘城の戦い)。 紀元前260年、長平の戦いでは、巧みな用兵で趙括率いる趙軍を兵糧攻めに追い込み大勝した。このとき20万余りに及ぶ捕虜の兵糧が賄えず、反乱の恐れがあるとして少年兵240人を除く全てを生き埋めにした。 紀元前259年、秦は王陵を起用して邯鄲を包囲し、紀元前258年には増派もして、さらに指揮官を王齕に交代させたが、趙の援軍として現れた魏の信陵君・楚の春申君に大敗北を喫した。 だが、これがさらに立場を悪くし、紀元前257年、ついに昭襄王によって賜死を受けた。 |
王齕(おうこつ)
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紀元前260年、白起とともに長平の戦いで趙を大いに破った。
紀元前259年、白起に代わって、将として趙を討ち、皮牢を取る。 紀元前258年、王陵が趙の邯鄲を攻めて増軍もしたが、戦況が思わしくないので王齕が代わって将となる。 紀元前257年、邯鄲を攻めたが落とせないので、汾城郊外の秦軍と合流した。 紀元前247年、韓の上党を攻めて、太原郡を置いた。 |
胡傷(こしょう) (公孫胡昜)? - ? |
華陽の戦い 紀元前273年、趙と魏は韓の重要な城邑である華陽を攻めた。 韓の相国は陳筮に頼んで秦に救援を求め、秦の昭襄王は白起を派遣し、秦の宰相の魏冄は客卿の公孫胡昜の軍を韓の救援に派遣した。 秦軍は8日で華陽の戦場に到着し、不意を突かれた趙と魏の連合軍は秦軍に敗退し、魏は13万の将兵が首を討たれ、3名の将軍が捕虜となり魏将の芒卯は敗走し、趙将の賈偃も秦軍に敗れ2万の趙兵が黄河に沈められた。 秦はこの勝ちに乗じて魏に攻め入り、公孫胡昜は巻・蔡陽・長社を取り魏は南陽を差し出して秦と和を結んだ。閼与の戦い 紀元前269年、公孫胡昜は趙の閼与を攻めるが、趙奢の奇策にはまり、大敗した。この敗戦以後彼に関する詳細や記録は歴史資料には見られない。 |
司馬錯(しばさく)
? - ? |
紀元前316年、蜀を攻め滅ぼした。 これにより、秦は、国土が広がり、また楚に対しては背後をとる形になって優位に立った。紀元前311年、楚を討ち、商・於を取った。紀元前310年、蜀の国相陳壮が謀反を起こして蜀侯通を殺したので、甘茂・張儀と共にこれを鎮圧した。紀元前301年、蜀侯惲(恵文王の子)が謀反を起こしたので、これを鎮圧した。紀元前291年、魏を討ち、軹・鄧を取った。また、白起と共に垣の城を落とした。紀元前289年、魏を討ち、垣・河雍・決橋を取った。紀元前286年、魏の河内を攻め、魏は安邑を秦に献じた。紀元前280年、隴西から兵を出して蜀に出て楚を討ち、黔中を取った。また、罪人を赦して南陽に移した。 |
摎(きょう) (楊摎:ようきゅう)? - ? |
紀元前256年、楊摎は将軍として韓を攻撃し、陽城・負黍を取り、首級4万を挙げた。 さらに趙を攻撃して20県あまりを奪い、斬首した者および捕虜は9万に達した。 ときに西周の文公は諸侯の軍を結集し、伊闕を出て秦を攻撃して、陽城との連絡路を遮断しようとした。楊摎が昭襄王の命を受けて西周を攻撃し、これを降伏させた。紀元前254年、魏を討ち、呉城を奪った。紀元前219年、東方巡幸する始皇帝が瑯琊(現在の山東省青島市黄島区)において瑯琊台ならびに瑯琊台刻石を設置した際、随行して瑯琊台刻石に名を列せられた人物らの中に五大夫楊摎の名が見られる。 ガンダムくん
生きていたんだな!摎!! 嬉しいぜ! |
王騎(おうき)
? - 紀元前244年 |
紀元前246年、秦王政が即位すると、蒙驁・麃公らと共に将軍に任じられる。
紀元前244年、同僚の蒙驁が韓を攻め13城を取るも、同年に死没。 |
活躍ぶりがスゴイけど、血なまぐさいね!
戦乱の世の武将なんだなあ
『キングダム』秦の六大将軍とは?六大将軍新旧一覧まとめ
趙との戦いを前に発表された六大将軍。
それは蒙武、騰、王翦、楊端和、桓騎の五人プラス空席1つでした。
彼らもまた、昭王の時代に諸国を恐怖に震え上がらせた六将、白起(はくき)、王齕(おうこつ)、胡傷(こしょう)、司馬錯(しばさく)、摎(きょう)、王騎(おうき)のような伝説になっていくのでしょうか?
『キングダム』の今後の展開が楽しみです!
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