「ムーン・リバー」は、1961年公開の映画「ティファニーで朝食を」の中でオードリー・ヘップバーンが歌う曲。オードリーの素直な声が胸に沁みますね。
でも歌詞はわかるようなわからないような?
きょうはご一緒に名曲「ムーン・リバー」の歌詞について考えてみたいと思います。
「ムーン・リバー」の歌詞は漠然としてよくわからない?
映画の中で歌われる歌はこちら。美しい曲です。
最初の「Moon River」は、「オードリーのイメージの造語」「水面に映る月光の筋」などの解釈もあるようです。
しかし、作詞のジョニー・マーサーの生まれ故郷、家の裏に流れる川の通称、という説が有力です。「バック・リバー」という名の川を、地元では「ムーン・リバー」と呼んでいたようです。
この映画「ティファニーで朝食を」の公開後、ジョージア州ではこの川の一部を正式に「Moon River」と名称変更したそうです。それはすごい。
それなら、「ムーンリバーを渡る」を「故郷を飛び出す」、と解釈すれば、映画の中でオードリーが演じたホリーと重なります。
ムーンリバー、故郷の広大な川
いつかあなたを渡って広い世間を見に行くの
夢を見たり、心が砕けそうになったりしても
でも故郷はいつも私と共にある
「二人の流れ者が世界を見に旅立つ」のくだりも「二人って誰?」と考えるとわからなくなります。歌詞の最後が「ムーンリバーと私」なので、さらに混乱します。
ここで私の個人的な見解ですが、この二人をホリーと、この歌を聴いているポールと仮定すると?
映画の中ではホリーはお金持ちの男性と交際することで生計を立てる女、ポールは売れない小説家でリッチなマダムの愛人ですので、歌のイメージに合ってきます。
(ホリーとポール)二人の流れ者は広い世界を見に旅立つ
見たいものはたくさんあるの
二人とも、追い求めるのは「夢」
夢の在りかは曲がり角の向こう
懐かしい故郷の友達や、ムーンリバー、変わらない私
夢の行きつく先が故郷になることは、虚栄の生活よりも愛を選ぶ映画のエンディングと符合するのではないかと思っています。
「ムーンリバー」はカット寸前だった
映画完成後、パラマウント映画関係者向けの試写を見たパラマウント映画の新社長は「あの歌はカットだな」と言い放ったそうです。(出典:wikipedia)
作曲家のヘンリー・マンシーニは、オードリーの声域に合わせこの曲を書き上げています。
彼自身「オードリー・ヘップバーンが誰よりもこの曲を理解している」と語っているので、その瞬間青ざめて、あたりは沈黙に包まれたそうです。
その後、その場にいた人々は口々に歌のシーンは残して他をカットするようにと提案したと伝えられています。
60年前に社長の鶴の一声であのシーンがカットされていたら、この名曲は日の目を見ることもなかったかもしれません。
「ムーン・リバー」曲情報
作曲 | Henry Mancini |
作詞 | Johnny Mercer |
録音 | 1960年 |
まとめ
「ムーン・リバー」の歌詞の解釈と、危くカットになるところだったいきさつをお伝えしましたが、歌詞解釈に関してはあくまで個人の見解です。
この曲の歌詞に関しては数多くの解釈がされていますので、映画と照らし合わせてどんな解釈ができるか、考えてみるのも楽しいと思います。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。