プロフェッショナル仕事の流儀「さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~」がNHK BS1で4月29日20時から21時50分までオンエアされます。
庵野監督の妻が人気漫画家の安野モヨコさんであり、マリ・イラストリアスのモデルであることは有名です。
名字が「アンノ」なのは偶然というのですから、運命を感じちゃいますね!
お二人の出会いと、苦難を乗り越えて株式会社カラーを設立した模様を安野モヨコさんの「監督不行届」からの情報を交えてお届けします。
二人のプロフィール
庵野秀明
本名 | 庵野 秀明(あんの ひであき) |
生年月日 | 1960年5月22日 |
出身地 | 山口県宇部市 |
学歴 | 山口県立宇部高等学校卒業。
大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍 |
アニメーター時代 | 大学生時アルバイトとして『超時空要塞マクロス』の動画から原画を担当、この時の爆発シーンが高く評価される。 |
上京後(1982年ごろ) | 求人に応募した際の原画を見た宮崎駿監督から直々に『風の谷のナウシカ』原画担当を任される。 難しいとされるクライマックスの巨神兵登場のシーン担当に抜擢される。 |
監督作品 | 1988年「トップをねらえ」 1990年「不思議の海のナディア」 1995年「エヴァンゲリオン」他多数 |
安野モヨコ
本名 | 非公開 |
生年月日 | 1971年3月26日 |
出身地 | 東京都杉並区 多摩市育ち |
学歴 | 関東高校(現・聖徳学園高校)卒業 |
デビュー作 | 1989年『まったくイカしたやつらだぜ!』(別冊少女フレンドDXジュリエット)
その後、岡崎京子のアシスタントを務める |
代表作 | 1995年『ハッピー・マニア』 2002年『監督不行届』 2005年『シュガシュガルーン』 2006年『働きマン』 2007年『さくらん』他多数 |
1995年、庵野監督が『エヴァンゲリオン』を制作していたころ、安野モヨコさんは『ハッピー・マニア』を描いていたわけですね。
話題を集めた二人の名字が偶然「アンノ」であったことから、『Wアンノ』と呼ばれました。
才能あふれる二人はどのように出会ったのでしょうか?
庵野秀明と安野モヨコ、二人の出会いは?
1995年ごろ、共通の知人がいたことから顔を合わせた二人ですが、庵野秀明さんの方は『ハッピー・マニア』のファンであったため好感を抱いていたようです。
しかし、安野モヨコさんのほうは、印象が良くなかったようです!
安野 まず全然喋らないんですよ。で、みんなで飲んで大勢でうちに来る流れになって。私が飼ってた犬がすごい人見知りな子なのに、なぜか庵野監督に乗っかっていったんです。そうしたら、邪魔くさいから足でポンポンって蹴ったんです。そのとき、私、彼氏と一緒に住んでたんですけど、彼は庵野監督の大ファンだから、帰った後も「すげえ、すげえ」って大興奮してたけど、私は「すごいかもしんないけど、イヤな奴だ。何だ、売れてると思って」ってブツブツ言ってた。
阿川佐和子さんとの対談より
その後、2001年ごろ「萩尾望都先生を囲む会」で再会、萩尾望都先生の隣の席に座ってしまい緊張してしまった安野モヨコさんの視線の先に庵野秀明さんがいました。
安野 彼も萩尾先生を尊敬しすぎちゃってて喋れなくて。でも、テンション上がっててちょっと明るかったんです。それで、「あ、この人、普通に話せるんじゃないの」と思って。それから、お互いに連絡取り合うようになったから、監督と結婚したのは萩尾先生のお陰かも(笑)。
阿川佐和子さんとの対談より
当時の恋人と破局した後のモヨコさんは、庵野監督と一緒にいる時間に安らぎを感じたようです。
運命の出会いと言えるでしょう。
結婚後の生活
その後2002年3月26日に庵野秀明さんと安野モヨコさんは結婚。
結婚式で庵野秀明さんは仮面ライダースーツを着たそうです!
さすが、オタク四天王と呼ばれるだけのことはありますね!
新婚生活を題材にしたエッセイ漫画『監督不行届』。
庵野監督の愛すべきオタクぶりが次から次へと暴露されます!
たぶんこちらが元ネタでしょう。
オタクな監督と結婚して、モヨコさんもりっぱなオタ嫁に成長していきます!!
他にも、「おなら夫人」人間ドックに持参する「検便」にまつわるエピソードはうっかり電車の中で読んでしまい、とんだ不審者になってしまいました!
笑えるエピソード満載、でも愛にあふれた『監督不行届』ぜひぜひ、手に取ってみてください(笑)
庵野監督は、モヨコさんの仕事への称賛と共に、こんな熱い愛の言葉を語っています。
自分の持てる仕事以外の時間は全て嫁さんに費やしたい。そのために結婚もしたし、全力で守りたいですね、この先もずっとです。(庵野秀明)
『監督不行届』安野モヨコ FEEL COMICSあとがきより
おめでとうございます。いつまでもお幸せに!
㈱カラー設立へ
安野モヨコさんは㈱カラー創業10周年記念作品として『大きなカブ』をネット上に公開しています。
2006年に創業し、安野モヨコさんが苦心して社名を考えた株式会社カラー。
人が手伝いに集まって来て、小さな種から、2007年「エヴァンゲリオン新劇場版:序」という作品が生まれた時のこと。
さらに人が集まり、2009年には「エヴァンゲリオン新劇場版:序」、しばしの休養をはさんで2012年「エヴァンゲリオン新劇場版:Q」という作品を収穫した時の様子が描かれます。
その後、「西の方から超・おじいさんがやって来て」(イヤ、宮崎駿さんだよね)「風立ちぬ」の仕事をしたり、2014年「シン・ゴジラ」と製作したり。
そして株式会社カラーが大きな大きなカブになって行くことを描いています。
決して平坦な道ではなく、監督自身との戦いでもあったのですね。
モヨコさん始め周囲の人々に支えられて、日本のエンタメ界に大きな足跡を残し続ける庵野監督と、株式会社カラー。
わたしたちも、次はどんなカブが育つのか、とても楽しみです。
庵野秀明と安野モヨコ、二人の出会いは?まとめ
庵野秀明監督と安野モヨコさんの出会い、結婚生活をネタにした『監督不行届』についてご紹介しました。
庵野監督の「この先も(モヨコさんのことを)全力で守りたい」という一言がとても印象的でした!
これからもずっと一緒に、日本のアニメ界を揺るがし続けていただきたいです!!
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