新選組 メンバー写真と愛刀一覧!映画・アニメ・小説の中の彼らも!

燃えよ剣

今回の記事では、歴史の舞台で活躍した新選組 に焦点を当て、主要なメンバーをご紹介します。

新選組は、幕末の動乱という歴史的背景の中で誕生した特別な部隊であり、京都の治安維持を目的として結成されました。

外国からの圧力と国内の変革を求める動きが交錯する中、新選組は徳川幕府の最期を支え、尊王攘夷を掲げる多くの志士との戦闘を展開しました。

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新選組 メンバー一覧|局長・参謀・副長クラス

まずは『新選組』を作り上げたトップからご紹介します。

写真 氏名 生没年、佩刀
局長

近藤 勇

1834年11月5日~1868年5月17日(33歳没)

「今宵の虎徹は血に飢えている」と講談のネタに。

虎徹

長曽祢虎徹 Twitterより

局長

芹沢 鴨

1832年?~1863年9月16日(31歳没)

愛刀は「備後三原守家正家」と言われていますが確認はできません。

水戸から仲間と共に浪士組に参加、新選組を作りますが、お梅と共に近藤一派に斬られます。

『燃えよ剣』『新選組血風録』に人物が描かれています。

参謀

伊東 甲子太郎

1835年1月1日~1867年12月13日(32歳没)

愛刀は「濃州住志津三郎兼氏」。

1864年、京で活動中の新選組に藤堂平助の仲介で参加。
参謀として待遇されますが、政治的方針の違いから1867年油小路で暗●されます。

副長

土方 歳三

1835年5月31日~1869年6月20日(34歳没)

和泉守兼定

和泉守兼定 Twitterより

 

副長

山南 敬助

1836年~1865年3月20日(29歳没)

「摂州住人赤心沖光作」の刀は、岩木升屋事件の際激しい争いで折れてしまい、近藤勇はこれを「大阪の刀は使わないように」と手紙に書き送ったと言います。

隊の方針に反発、脱退を目論むも失敗、自決。

(画像 不詳) 副長

新見 錦

1836年~1863年10月27日(27歳没)

芹沢鴨の一派。
遊行を理由に近藤一派によって自決を迫られ、切腹。

近藤勇をトップに、という土方歳三の意志はこれに同調しないものを次々と粛正するという壮絶な方法で実現していきます。

武士になって、旗本になって名を上げるという二人の思いは過激な行動になっていくけど、その情熱がのちの世にまで伝わっていくんだな!

『新選組血風録』司馬遼太郎

『燃えよ剣』司馬遼太郎 映画『燃えよ剣』

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新選組 メンバー一覧|隊長クラス

写真 氏名 生没年、佩刀等
一番隊組長

沖田 総司

1844年~1868年7月19日(24歳没)

菊一文字則宗(模造刀)「歴史プラス」より

菊一文字則宗(模造刀)「歴史プラス」より

機動戦士ガンダムSEED ASTRAYに『ガーベラ・ストレート』として登場しています。

 二番隊組長

永倉 新八

1839年5月23日~1915年1月5日(75歳没)

愛刀は「播州住手柄山氏繁」(ばんしゅうじゅうてがらやまうじしげ)。

漫画『銀魂』の主人公、志村新八の名はここから。

 三番隊組長

斎藤 一

1844年2月18日~1915年9月28日(71歳没)

鬼神丸国重(模造刀)「歴史プラス」より

鬼神丸国重(模造刀)「歴史プラス」より

映画『るろうに剣心』では『牙突』で魅了しました。

(画像 不詳)  四番隊組長

松原 忠司

1815年~1865年10月20日(50歳没)
(画像 不詳)  五番隊組長

武田 観柳斎

生年不詳~1867年7月23日
(画像 不詳)  六番隊組長

井上 源三郎

1829年 4月4日~1868年 1月29日(39歳没)
谷三十郎 七番隊組長

谷 三十郎

1832年~1866年5月15日(34歳没)
(画像不詳) 八番隊組長

藤堂 平助

1844年~1867年12月13日(23歳没)
九番隊組長

鈴木 三樹三郎

1837年8月15日~1919年7月11日(82歳没)
(画像不詳) 十番隊組長

原田 左之助

1840年~ 1868年7月6日(28歳没)

『るろうに剣心』では大男の相楽左之助が大活躍。

試衛館の仲間を中心に組織は作られ、隊士は二百名ほどにもなったと言います。

映画やドラマ、小説や漫画、アニメで有名な隊士もたくさんいるよね!

 

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新選組 メンバー一覧|監察

写真 氏名 生没年
山崎丞 監察

山崎 丞

1833年~1868年2月6日(35歳没)

映画『燃えよ剣』では一味違うキャラで魅了しました。

(画像不詳) 監察

篠原 泰之進

1828年12月22日~1911年6月13日(83歳没)
(画像不詳) 監察

吉村 貫一郎

 

1839年~1868年1月30日(29歳没)

南部藩脱藩。
『壬生義士伝』の主人公として脚光を浴びました。

外部の情報を集めることの他に、鉄の掟で隊士を引き締めていくのも彼らの仕事でした。

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新選組局長・近藤勇

新選組の顔・近藤勇とはどんな人だったのでしょう。

近藤勇の生い立ち

1834年、武蔵国多摩郡上石原村の農家に生まれた宮川勝五郎。
14歳で江戸牛込の天然理心流剣道道場・試衛館に入門します。
1年でその腕を認められ、近藤周斎の実家嶋崎家の養子を経て近藤家の養子になります。
そして近藤勇と名乗るようになるわけです。
26歳で松井つねと結婚。
27歳で天然理心流宗家四代目を襲名し、試衛館を継ぎます。

剣の腕は確かだったんだな!

優れたリーダーを持ち、人に慕われる人だったんだろうな。

近藤勇・試衛館の仲間たちと京都へ

1863年正月、江戸幕府は14代将軍・徳川家茂の上洛警護をする浪士組織「浪士組」への参加者を募りました。
試衛館のメンバーはすぐに参加を決めます。

流行病で道場経営がヤバかったという理由もあったようだよ!

  1. 近藤勇(28歳)
  2. 土方歳三(27歳)
  3. 沖田総司(18歳)
  4. 山南敬助(26歳)
  5. 永倉新八(23歳)
  6. 原田左之助(22歳)
  7. 藤堂平助(18歳)
  8. 井上源三郎(33歳)

この8人は江戸から京都へ向かい、斎藤一(18歳)は京都で合流することに。
この道中、水戸から参加の五人組と出会い、宿が近いこともあって親しくなっていきました。

  1. 芹沢鴨(31歳)
  2. 新見錦(26歳)
  3. 平山五郎(33歳)
  4. 野口健司(19歳)
  5. 平間重助(38歳)

芹沢鴨のつてをたどって『京都守護職会津中将お預浪士』として京都に残る算段をして、ついに「新選組」が誕生します。

近藤勇の愛刀『長曽祢虎徹興正』について

講談の「今宵の虎徹は血に飢えている」という名セリフで有名な近藤勇の虎徹。

「江戸で買い求めた」「鴻池善右衛門に貰った」等諸説ありますが、源清麿による贋作という説が有力です。

しかし近藤勇にとっては「やはり虎徹。」
有名な池田谷の変の後、こんな手紙を書いています。

…一時余りの間戦闘に及び申し候ところ、永倉の刀は折れ、沖田の刀はぼふし折れ、藤堂の刀は刃切れささらのごとく、倅周平は槍を切り折られ、下拙の刀は虎徹ゆえに候や、無事に御座候

近藤勇

池田屋での激しい戦いの後、永倉新八の刀は折れ、沖田の刀も俺、藤堂の刀も刃こぼれし、養子周平の槍も折れ…しかし近藤自身の刀は『虎徹だから』無事であったと言っています。

関東大震災で焼失したと言われる近藤勇の刀だけど、近年の研究では「むしろホンモノだったのでは?」と言われているんだ。

しかしこの後、倒幕の流れはますます強くなっていきます。

あくまで幕府の側に立つ、と決心している近藤は、最後は官軍に捕らえられ斬首の刑に処せられます。

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土方歳三:新選組の鬼の副長

組織としての新選組を副長という立場から機能させていたのが土方歳三でした。

近藤勇が慕われるよう、自ら憎まれ役、汚れ役を企画実行していたように思われる、信念の人です。

土方歳三の生い立ち

1835年武蔵国多摩郡石田村の豪農の末っ子に生まれた土方歳三はこんな言葉を残しています。

生家の在った場所には、歳三が少年の頃に「我、壮年武人と成りて、天下に名を上げん」と言って植えたという「矢竹」がある。

wikipediaより

『天下の大将軍になる!』って言ったキングダムの信みたいだな!

『海賊王に俺はなる!』のルフィじゃないか?

また土方歳三は、数え年で14歳から24歳くらいまで江戸に奉公に出ていたことがわかっています。

その後は実家の『石田散薬』を行商しつつ剣術に励みます。
姉の嫁ぎ先佐藤彦五郎宅では自宅に道場を建て、試衛館の近藤勇らが出稽古に来ていたことから、24歳で天然理心流に入門しています。

土方歳三と新選組

1863年、近藤勇と共に『浪士組』に参加します。

『新選組』発足後は芹沢鴨一派を粛正したり、厳しい『局中法度』を定めたり、『新選組』を特別な存在に育て上げていったのは土方歳三の力による所も大きいでしょう。

1864年『池田谷の変』では近藤勇の手柄が他の者に奪われないよう、現場の出入りを仕切ったと言われています。

鳥羽伏見、戊辰戦争

幕府軍の旗色は日に日に悪くなり、敗戦を重ね移動していくようになっていきます。

「武人となりて天下に名を上げん」が目的だったのなら、土方歳三は一直線に武の道を貫き、歴史に名を残したと言えるな!

 

新選組を「甲陽鎮撫隊」に改名しての働きも、近藤を喪う結果となっていきます。
意気阻喪することなく、洋風の軍での戦を研究しつづけ、ついには自ら硝煙の野に散っていく土方歳三。

その姿は150年以上たった現在でも人々を魅了し続けています。

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沖田総司:労咳の美少年

1844年、陸奥国白河藩藩士江戸下屋敷で足軽・沖田勝次郎の長男として誕生。

西麻布の生まれのシティボーイさ!

9歳で天然理心流・試衛館の内弟子になり、わずか12歳で多摩方面の出稽古に行くようになっています。

北辰一刀流の免許皆伝も持っており、剣の腕前は隊の中でも随一でした。

「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」

永倉新八

近藤勇に率いられ、試衛館の仲間と共に京都へ。

新選組一番隊の組長として、芹沢鴨の粛正、池田屋の変等、大事件の中心となって活躍しましたが、その間にも労咳が沖田の体を蝕んでいきます。

1867年以降は病に伏すことが増え戦線を離脱。
近藤勇の処刑を知らぬまま、1868年には天に召されました。

隊を脱けようとした山南敬助の追っ手として差し向けられ、兄弟子を介錯することになったエピソードも新選組という組織の厳しさを伝えているね

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新選組 メンバー写真一覧!歴史に名を刻んだ彼らの生き様まとめ

新選組は幕末の歴史を駆け抜けた英雄たちとして記憶され、その活躍や哲学は現代の日本文化にも深く影響を与えています。

彼らの勇猛な戦いやリーダーシップは、今もなお多くの作品やメディアを通じて語り継がれています。

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