ジブリ映画「風立ちぬ」では「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督が声優を務めています。
庵野監督とジブリの間にはどんな関係があったのでしょうか?
庵野秀明監督とジブリの出会いは?
庵野監督とジブリの関係を探る前に、庵野監督がアニメの世界に入るまでを簡単にご紹介します。
お絵かき好きな幼年時代
1960年5月22日山口県宇部市生まれの庵野秀明氏。
幼い頃からアニメや漫画、お絵かきが好きだったそうで、高校生時代には、美術部の部長を務めるほどの画力があったそうです。
また、高校時代には自主制作の映像作品『ナカムライダー』を、文化祭で上映しています。
すべてが「今」に生きているんだなー!
大学時代
1980年、大阪芸術大学映像計画学科に進学し、サークルはSF研究会に所属。
自主制作アニメに熱中していました。
オタク四天王を名乗るだけある、筋金入りのオタクなんだな!
1982年ごろ、アマチュアのアルバイトではありましたが、『超時空要塞マクロス』の制作に参加しています。
この時に描いた爆発シーンが各所で評価され、仕事が来るようになったといいます。
宮崎駿監督のもとへ
1983年自主制作アニメに熱中し、学費を払わないでいたら除籍処分に。
就職活動を始めた時『アニメージュ』に掲載されていた、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』の作画スタッフの募集告知を見て上京します。
大量に持参した原画が宮崎駿に評価され、原画担当として採用されました!
クライマックスの巨神兵登場のシーン担当に抜擢されたのです。
その後の庵野秀明氏
その後「劇場版 超時空要塞マクロス」に参加。
その時知り合った縁からフリーのアニメーターが集まる、スタジオ・グラビトンの設立に参加。
スタジオでで寝泊りしながら、お金がなくなったとき、好きなときだけ仕事をするという生活をしていたそうです。
移動には、宮崎駿氏に貰った原付を使っていました。
1984年、株式会社ガイナックスの設立に参加。
そんな中 高畑勲監督による「火垂るの墓(’87)」に参加します。
庵野監督は上京の時にお世話になった宮崎駿さんのことをずっと「師匠」と呼んでいるそうだし、ジブリとは切っても切れない縁があるんだね
エヴァンゲリオンの大ヒットとスタジオカラー設立
1995年、「エヴァンゲリオン」テレビアニメが放送開始、徐々にコアなファンを集めつつ、時間がたつにつれて大ヒットしていきます。
2006年自身の会社スタジオカラーを設立、エヴァンゲリオン新劇場版序・破・Qとヒットを飛ばしていきます。
しかし精神的に疲れがたまり、活動できない時期もあったようです。
大きな注目を集める作品を作るということは、大きな批判にさらされるということでもあるからです。
そんな折、庵野氏が師匠と仰ぐ宮崎駿監督が、「風立ちぬ」での声優としての出演をオファーしてきたのです。
宮崎監督はこの作品の中の堀越二郎役に、達者な声優ではなく、朴訥な、傷つくことを知っている人間の声を当てたかったと語っています。
このことは心のケアの効果もあったのか、結果的に庵野秀明氏を「シン・エヴァンゲリオン」へと向かわせてくれる効果があったようです。
庵野秀明監督とジブリの関係は?まとめ
幼少のころからの筋金入りのオタクであった庵野秀明氏がプロとして活動することを決心して上京したのが宮崎駿氏のもとであったこと。
年月を経ても宮崎氏を「師匠」と呼び、精神的な支柱としてきたこと。
『風の谷のナウシカ』、『火垂るの墓』といった参加作品、また、『風立ちぬ』では声優をつとめるなど、両者の間には深い縁があったことを感じますね。