『漁港の肉子ちゃん』に登場する三つ子の老人。
漁港の幽霊?それとも何か、意味するものがあるのでしょうか?
原作の小説『漁港の肉子ちゃん』から三つ子の老人の登場シーンをたどってみましょう。
『漁港の肉子ちゃん』三つ子の老人は港にいる
喜久子が漁港に行くと、「三つ子の老人」がいます。
三人はそれぞれ帽子をかぶり、海に向かって座っています。
煙草を吸いながら、仲良く昔の話をしているのです。
でも、それは袋をかぶせられ、船に乗せられて拉致された人の話。
三人の老人ではなく三つ子、と表現しているのは、3人は悲しみを共有しているからなのです。
家族と引き離された悲しみなんだね
『漁港の肉子ちゃん』三つ子の老人のいたずら
喜久子には三つ子が幽霊だとわかっていますが、他の人には三つ子の姿は見えないようです。
漁師が船に向かう時、三人の「体をすり抜けて」しまうことがあるのです。
すると、三人のうちの誰かが頭を叩いたり、うなじをくすぐったり、膝の裏を押したり。
その後は何事もなかったかのように海を見ているのだそうです。
でも、三つ子は、夜に泣くのです。
子どもみたいに人にちょっかい出したりするけど、やはり三つ子は悲しみと寂しさの象徴なのね
喜久子が船に乗せてもらう日は、朝から泣いていたね
『漁港の肉子ちゃん』クリスマスの三つ子の老人
クリスマスは、自分たちが欲しいものをサンタクロースが届けてくれる日。
三つ子の願いはたった一つ。
自分たちの家族が帰ってくることだけ。
引き離された家族を思う気持ちは、亡くなった後も消えることはないのね
『漁港の肉子ちゃん』喜久子には三つ子が見えなくなる
漁港のある町の人の温かさにつつまれて、肉子ちゃんの思い、産みの母の思いを知った喜久子には、三つ子の姿が見えなくなります。
しゃべるヤモリやかもめは、喜久子の寂しさが創り出していたものだったのでしょうか。
愛情に包まれていたことを知って、見えなくなったのか。
成長して、一つおとなになって、見えなくなったのか。
映画の中ではどのように描かれていくのか楽しみです。