川越・仙波東照宮の歴史を知ればお詣りはもっと面白い

川越観光

初詣では人波であふれる喜多院、氷川神社等を横目にひっそりお詣りできる仙波東照宮。
歴史を紐解くと意外な事実が見えてきます。
雑学を仕込んでから初詣なんていかがですか?

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仙波東照宮の歴史

元和2年(1616年)徳川家康が亡くなり、遺体は静岡県の久能山にいったん埋葬されましたが、家康の遺言により翌年3月、日光東照宮へ移されました。

その際に、天海僧正が住職を務める川越の喜多院に立ち寄りました
天海僧正は「黒衣の宰相」と呼ばれ、徳川将軍家に対して強大な影響力を持っていた人です。
そして、ここで4日間にわたる法要を執り行われたのです。

その後天海僧正は家康像を大堂(喜多院薬師堂)に祀りました
これが東照宮のはじまりです。

寛永10年(1633年)、現在の場所に丘陵を築き上げて遷祀したのですが、寛永15年(1638年)川越大火により焼失。
その後三代将軍徳川家光の命で寛永17年(1640年)に建てられたのが現在の社殿です。

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仙波東照宮の建っている場所は

さて、この仙波東照宮が建てられていた場所にもともとあったもの。
それが現在喜多院の200mほど南にある「中院」です。由緒正しいお寺なのに、なぜ移動させられてしまったのでしょう?

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喜多院の名の由来

喜多院はもともと「北院」。
天長7年(830年)慈覚大師により建立された星野山無量寿寺の北院、中院、南院の3院の中の一つでした。
徳川家康の厚い信任を得る天海僧正は、慶長4(1599)年、自らが住職を務める北院を「喜多院」と改め、慶長17年(1612年)には関東天台の本山としたのです。

寛永15年(1638年)の川越大火の後には、三代将軍徳川家光の命により江戸城紅葉山御殿の一部が喜多院に移築され、これが現存する客殿、書院、庫裏になります。

喜多院の歴史、東照宮の歴史は天海僧正の力で作られたものであると言って良いでしょう。

ちなみに中院は前述のとおり移設。現在でも風情のある寺社ですが、南院は廃院となっています。
宗教の世界も政治の力に翻弄されているような印象を受けました。

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仙波東照宮の見どころ

玄関口にあたるのが朱塗りの隋身門。国指定重要文化財となっています。
参道を進むと現れるのが大きな石鳥居。これをくぐると現れる手水鉢は、江戸城から運ばれたものです。

長い石段を登り、拝殿でお詣りをします。
拝殿前にはこれも江戸城から運ばれた、埼玉県最古の二対の狛犬が鎮座しています。

普段は拝殿の内部を見ることはできませんが、お正月などには扉を開けてあり、三十六歌仙、鷹絵額を見られることがあります。

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川越 仙波東照宮

お正月、週末以外は柵が閉められて拝殿まで入れないことがありますので、平日にお出かけの場合はご確認ください。

住所 埼玉県川越市小仙波町1-21-1
拝観日等問合わせ先 川越八幡宮 tel:049-222-1396
別の神社ですが宮司さんが兼任のため問い合わせは上記になります
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まとめ

喜多院の隣にひっそりとたたずむ仙波東照宮ですが、その歴史を知ると天海僧正への興味が湧いてきました。一説によると108歳まで長生きをしたということです。

天海僧正が徳川家康に贈ったといわれる「養生訓」は、

「気は長く     勤めはかたく  色うすく 食ほそうして  心ひろかれ」  。

現代にもそのまま通用しそうです。

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